Sanshiro’s diary

大した事もない日常だけど…

いちばんよくわからない人

今週のお題「自己紹介」

でも自分というものは世の中でいちばんわからない人であります。それは言ってみればみんなそうかもしれません。自分が一体人からどう見られてるかは自分の最大の謎であります。どうやら自分は外見ではかなりつめたくてクールな人の様にみえるようです。それでいて格好良く見えるようで、しかし外見と違って中身はかなり格好の良くない人です。話方もおっとりしてるねとよく言われます。しかし自分としてはおっとりと話してる意識はまるでありません。どこがおっとりしてるのか?と思います。なので見た目で判断されてクラブで話かけられた事がありますが、話したら逃げていってしまった経験を持っています。なので自分は外見と中身のギャップにかなり悩まされる人であります。中には、この性格を気に入ってくれる人もいます。面白い性格だと始終ニコニコ笑ってくれる人もいます。自分としては気にいってくれると助かります。自分としてはよく笑ってくれる人がタイプです。しかし冒頭でも書いた通り自分は自分が世の中でいちばんよくわからない人です。我慢強い部分も持っていますが我慢強くない自分も持っています。優しい性格かもしれませんが自分としては冷たい人の様に思えます。優しいと良く言われますが、優しすぎるともいわれ、さらに優しいだけじゃ駄目なのよと言われたこともありました。自分もそう思いました。それから色々出来る人になろうと少しは格好良くなろうと日々努力しているところではあります。

しかし怒ると自分はかなり怖いと思います。一度怒ると絶対にその人を許しはしません。しかしそれが自分に13年もの間彼女がいなかった原因だと思いました。だから最近はその性格を改めようと努力しています。人を許す事も必要だと思います。今は彼女がいるのですが、自分は彼女を愛しているということが出来ます。彼女との生活を今まさに夢みているところです。そして現実にしていこうと努力している最中でしょう。自分は占いによると辛い定めを持っている人らしいです。その辛い人生をときには嘆いたときもありました。しかし良き人格を持つにはそれこそ辛い目に多々遭遇しなければ成り立たない事だと思います。自分はこの良き人格を持ちたいが故に辛い定めを受け入れて生まれてきたことに最近気がついたところです。自分はもう一回人生があったとしても恐らくもう一度自分になる事を選択するでしょう。厳しい状況を体験しない限り徳は得られないと自分は思います。かといって自分が果たして人徳を持っている人なのかはわかりませんがたぶん人の気持ちは敏感にわかる人でしょう。それだけはこの辛い定めを受け入れてきただけに自負しているところであるのです。皆さんも楽して生きようなんて思わないで下さい。楽して生きればそれはそれだけの人になってしまうのです。特に若い皆さんはことわざでもいうように苦労をかってでてみてください。それだけの価値はきっとそのうち出てきてそしてそれをわかってくるはずです。これは紛れもない事実です。自分は幸いな事に苦労をかってでなくても苦労してしまった人ではありますが、今では苦労して良かったと思えます。でも自分は一体これから何を思って生きていくのかそれは未来の自分をみてみなければわからないそんな風来坊のようなのんびりした性格の持ち主なのです。

ドラえもんに憧れた幼少時代…

今週のお題「ねこ」

自分が幼い頃1番好きだった猫はなんといってもドラえもんでしょう。知らない人もいるかもしれませんがドラえもんはネズミに耳をかじられた未来の猫型ロボットです。自分も幼い頃の記憶はドラえもんに纏わる事から始まります。テレビでやっていたドラえもんをどうやらかなり小さい頃から見ていたみたいですが、そのテレビのドラえもんが終わってしまい代わりに忍者ハットリ君になってしまった日が自分の幼い頃の記憶の始まりです。その時母親は目のつく台所で包丁で何かを切っていました。自分はドラえもんがやっていないと母親に言いました。が母親は気に留める事もなく包丁で何かを切りながらそれじゃおわっちゃったんじゃないと言いました。えー⁉︎、と自分はいいいつまでも納得いかないままどうしようもなく果たして続きで始まったハットリ君をみたかはわからないのですがそれが最初の自分の記憶であります。今ではそれが何歳の時だったかは忘れてしまったのですが、自分の残っている最初の記憶である事は間違いないと思います。自分の家庭では動物は悪い菌を持っているという父親の言動で飼ったことがあるといったらせいぜい夏祭りでとった金魚くらいで動物は今まで全く飼ったことはありませんが、もし自分が将来飼うとしたら猫にしたいと思っています。夏目漱石に憧れているからなのでしょうか?理由ははっきりとはわからないのですが、しかし夏目漱石の書いた吾輩は猫であるを読んだことはありますが、その作品は漱石の中では大して面白い作品とは思いませんでした。何故猫が飼いたいかと考えてみると、どうやら自分は他の人や動物がひとりの時にする行動が一体どんな行動をするか興味を持っているからではないかと思いました。それに自分は言う事を聞く動物よりもしたい事をしてくれる動物の方が性にあっているのでしょう。言う事を聞く動物だといちいち自分は何かを言わなければならないので自分はそれすら面倒臭く感じるのです。犬と散歩するのも悪くはないですが、犬の性格は自分は好きではありません。言う事を聞くよりもほったらかしにしてもキチンと生活してくれる方が自分は助かります。自分には大して自分に従って欲しい欲求は持っていないのでしょう。それに思いもかけずな行動をしてくれた時の感動が猫にはあると思います。犬は言う事を聞いて当たり前ですが猫が言う事を聞いたらきっと自分は喜ぶでしょう。

飼った動物はその飼った人に似るとよく言いますが、自分の気まぐれな性格から猫を飼いたいと思うのではないでしょうか?女の人も気まぐれな人の方が、自分はどちらかというと好きな方ではないでしょうか。自分はよく女の人に振り回される方です。余りにも振り回されると嫌になって怒りが爆発するのですが、決まって自分が選ぶ女の人は自分を振り回す人ばかりです。それなのに何故こんなにも振り回されなきゃならないんだといつも決まって思うのです。自分が気に入った人にもかかわらずです。それならもっと自分に従ってくれる人を選べばいいのにと自分すら思うのに好きになる人はどちらかというと性格は猫に似てる人で自分はいつもはがゆい思いをしているように思い、自分は馬鹿なんじゃないかと思います。しかし自分はきっとそういう性なのでしょうと今では半ば諦めているところです…

数字を信じる…

今週のお題「ゲン担ぎ」

多分誰にもあると思うんですが自分にもラッキーナンバーというものがありまして、自分のラッキーナンバーは6になります。西洋ではあんまり良くない数字みたいですが、日本ではどうでしょうか?多分目録などのロク、ロクなものじゃないとかに使われたりするので結構良い数字ではないでしょうか?自分は特に決断をする時などに時計の数字を見ます。ゴロのよい数字や自分で良いと思った数字が並んだ時間帯に決断をする様にしています。そうした時には一体上手くいくかは今の所確認してはいないのですが、自分はそれをやめようとはしません。数字というものは不思議なものです。数字はきっと確実なもののように思えます。数学にはいつも答えはひとつであり、それ以外の数字は全てペケです。だから数字というものはきっとなにかを意味しているように自分には思えてくるのです。逆に自分にはアンラッキーナンバーもあります。それは2になります。昔からこの数字の2に関係するといつも良くない事が起こっていました。なのでいつも自分は行動を起こすときには時間をみてなるべく2分とか22分は行動しません。とくに2が2つならんだ22の数字は自分の中では最も良くない数字です。自分は22という数字が大嫌いです。この数字だと本当に嫌な予感がして本当に嫌な事が起こります。なのでなるべく2という数字は避けるようにしています。しかし12はそんなに悪い数字では自分の中ではありません。自分の中では相性の良い数字と悪い数字が色々あります。よく中国人が好きですが、8という数字も末広がりの八というように自分の中では結構良い数字になります。よく自分が電車に乗る時は6号車か8号車に乗り、逆に2号車はまず乗りません。別にそうしたらこうなるというものはないのですが、自分はそうしてしまうのです。数字というものは統計学的なものできっと意味があるように自分は思うのです。それが自分にとってのゲン担ぎになるでしょうか?

たまに時計をみると数字が3つ並んでる時があります。それを見たとき自分は何故かそれに意味があるように思えてきたりします。それは自分以外の友達でもそう思うといっていた人がいました。でも自分は本当に数字というものは不思議でしかし確実なものと自分は数字というものを信じているのです。

駅まで今日は歩いてみれば⁈

今週のお題「体調管理」

最近の世の中はストレス社会と言われ色々としがらみにとらわれる世の中になりました。そんな中でもやはり生きていかねばならぬもので、日々大変な思いをしている人もいるでしょう。自分もそのストレス社会にヤラれ若干精神に障害をきたす身体となってしまいました。でもそんな中でも自分はなるべく前を向いて生きています。これからはお金を稼ぐために転職も考えているところです。これからの毎日はひょっとしたら時間に追われ余裕のない生活が待っているかもしれません。でも今日はちょっと早起きをしたので普段はバイクで駅まで向かうのですが、雨も降ることなので駅まで歩く事にしました。いつも歩くと思うのですが、朝のこの寒さも新鮮な空気に感じられ清々しい気分になるのです。自分は家から駅までの30分の道のりをたまぁに歩く事にしています。しかし駅まで歩いたその日はいつも効率よく仕事が出来て、なんだか今日は良かったなとそんな事が思える日になります。早起きって三文の得といいますが、その日いちにちが良い日になるのですから三文どころか十文のといったところではないでしょうか?しかし自分も流石に毎日は出来ません。でもほんのたまぁにでいいのです自分は歩く事にしています。そして朝の喫茶店に立ち寄るのです。朝のコーヒーは疲れた身体を目覚めさせてまた今日もいちにち頑張るぞと思わせてくれます。自分はそれを体調管理のステータスとしているところです。朝余裕のない日はいつも時間に追われ、なんだか焦るようにいちにちが過ぎてしまいます。そうするとなんだかいちにちが勿体なかったようになんとなく嫌な気持ちになります。だから毎日は出来なくてもたまには早起きをして駅まで歩いて喫茶店に立ち寄って朝の有意義な時間を過ごす…毎日時間に追われている人はちょっと土日休みだった月曜の朝は早起きして駅まで歩くなり朝の喫茶店に立ち寄ってみてください。きっとホッと出来てそして今の自分を見つめ直すことができると思います。少し日頃のストレスから解放される事が出来ると思いますよ!是非やってみてください。

此れからのふたりに供えて…

今週のお題「今年中にやっておきたいこと」

自分も実に13年ぶりに新しい彼女が出来ました。まだ付き合い始めたばかりですが、ふたりの中は急接近中です。彼女は自分の事をたいそう気に入ってくれたみたいで、でも少しいつもヤキモチを妬かせるのがたまにキズですが、ふたりは仲良くやっております。自分ももう40歳ですし、此れからの事をなんとなく想像しますが、あまり結論が出ないところであります。どうやら彼女は今22歳なのですが、25歳までに結婚したいらしくなんとなく何か自分との結婚を予定しているみたいなのですが、自分は今はお金も全く持ってないし、本当に結婚してしまっても良いのだろうかと少し躊躇っている感じです。そこで今年中になんとかふたりの行末を自分でも計画しなければと思うところであります。彼女は同棲しようといっていますが、自分はまだ付き合ってそんなに経ってもいないので親に同棲するなんて少し言いづらいところです。しかし自分としては是非とも同棲はしたいのですが…年の差実に18歳差の自分達ですので自分としてはこの機を逃したら間違いなく自分はもう結婚出来ないと思うのです。しかし彼女は自分に子供を実に6人欲しいというのです。自分としては1人育てるのさえ難しいと思っているところに6人と言われたものだから全く計画が立てずにいます。6人の子供を養える職業に自分は果たしてつけるだろうかと思います。それにそれはどんな職業なのかもさっぱり回答が出てきません。アパレルを自分は今までやって来ましたがアパレルでは6人の子供を養うだけの給料は貰えないと思います。そしたら工場勤務かとも思います。しかしラインに入るには自分は左利きですしそんなに簡単な事でもないような気がします。それにそんなに経験もあるわけではありません。でもなんとか今年中に自分と彼女の今後を考えておくべきだと思うのです。それがだぶん今の自分に課せられた課題でしょう。彼女と霊の話をした時にふとなにか自分は亡くなったおばあちゃんにその人と結婚しなさいと言われているように思ったのです。

自分と違って彼女は全くしっかりしています。18歳差の自分をリードしてくれているような状態です。だから彼女の為にも自分はキチンとした今後の計画を立てなければなりません。作家になりたかった夢もとりあえずお預けかなとも思います。また暇が出来たらその夢に向かえばいいと思います。色々何か自分は考えて行動しなければならないと思いました。自分の身は自分ひとりのものじゃなくなったような気がするのです。それはそれでまた嬉しい様なちょっと気が重いような複雑な気分にもなるところです。

此れからの自分を信じて自分は生きていこうと思います。自分はあの人と結婚するなら苦労しても良いと思うのです。おばあちゃんが苦労しなさいと言ってるように思えます。だから身を粉にして自分は此れからの人生に挑むつもりです。

しかし最終的には自分はきっと幸せになれるでしょう自分の人生に悔いなしと思えて死ねるでしょう自分は直感でそれをたぶんわかっているのでしょう自分はなんとなくではありますがそう思って此れからの険しい計画を立てるつもりでいます40歳といえば働き盛りです。自分はなんとか6人子供を持つ為に此れから働きまくるつもりになりました。

彼女が幸せになってくれたら自分も幸せになれるでしょうそして育てた子供達が立派になっていくのを自分は喜びを持って迎え入れるでしょう。きっと賑やかな家族になるでしょう。たまにはウザいと思うかもしれませんが子供を産んで良かったときっと思えるでしょう。自分は今はまだ実感ではわからずにいますが、しかし自分はきっと深層心理ではわかっているのだと思うのです。

自分は頭が良いのです。もう後悔はしたくありません。二度と同じ失敗はしないでしょう。自分はきっと近々ふたりで籍を入れに行くと思います。まさか自分が結婚出来るとは思いませんでした。

簡単美味しいパスタの秘訣は焦がしニンニク…

今週のお題「得意料理」

自分の得意料理はパスタであります。特にトマトソースパスタが得意ですかね。しかし美味いパスタを作る秘訣は簡単で、キーポイントはニンニクにあります。ニンニクをスライスしてフライパンにちょっと多めのオリーブオイルを入れてスライスしたニンニクをそのオリーブオイルでキツネ色になるまで弱火で揚げるのです。それだけでパスタは格段に美味しくなります。ニンニクですが匂いの気になる人でも焦がしてあるので大して匂いはしません。それに外で食べるのではなくて家で食べるパスタですからニンニクを入れても気になる人はその後歯を磨けば良いことなので、騙されたと思って是非ニンニクをスライスして揚げてみて下さい。その後は少し茹で時間が少ないパスタをフライパンに移し何時も通りパスタを作るだけです。

ソースはトマトソースでもなんでも構いません。多分カルボナーラでも大丈夫だと思います。お好きな具やソースでやってみてください。絶対何時もより格段に美味しくなっている筈です。自分はこのパスタの方法を元ホテルオークラの料理人から習いましたので確かだと思います。なんだかあっという間に説明が終わってしまったのですが、あっという間に終わってしまった割の説明ですが、効果は抜群です。きっと病みつきになる事間違いなしです。あともっとパスタを甘くしたい人はその後でスライスした玉ねぎをキツネ色になるまで炒めると良いでしょう。ソースや具なんてあるもので構いません。でも多分1番美味しく出来上がるのはトマトソースパスタだと思います。トマト缶の場合は塩分が無いので絡める時でも塩を入れる事を忘れずに。あとバター醤油でも美味しいです。

やってみるとわかりますが食欲をそそる匂いがしてきます。匂いで違いがわかる筈です。自分はこのパスタを作り始めてから何か料理が上手くなった様な気がします。自分の料理の原点とも言えます。初心者でも簡単に作れるので…まず出来ない人はいないと思います。出来ない人といえばニンニクを上手くスライス出来ない人でしょうか?まぁそしたらスライス器でも使ってやってみてください。兎に角簡単にパスタが格段に美味しくなる方法ですよ。あと念のため常識ですがパスタを茹でる時はお湯に塩を入れる事を忘れずに

過ぎ去りし紅葉を見つめて…

今週のお題「芸術の秋」f:id:Sanshiro:20171109151319j:image

何時も自分が秋を感じるのはやはり草木が紅葉してくる時でしょうか?それを芸術と呼べるかはわかりませんが、色鮮やかに草木が紅葉する姿は自分は芸術を感じます。よくこの季節だけは家族で軽く旅行をして近場ではありますが山などに登ったり温泉に浸かったりして紅葉を見に行きます。何故か自分もこの時期だけは家族で旅行をする事にあまり躊躇いがありません。それはやはり自分が紅葉が好きなのではない所為かと思います。父親や弟と一緒に温泉に浸かった時もありました。去年は何処の山か忘れてしまいましたがちょっとした登るのに簡単な山に登りロープウェイから紅葉を写真に収めました。確か去年だったようなでもひょっとしたら一昨年だったかもしれませんが…まだ自分の住んでいる所は紅葉はしていませんが、ちょっとした所でも秋を感じる事が出来るのはやはり紅葉ではないでしょうか?そして色どり豊かな紅葉に自分は秋の芸術を感じるのです。寂しい冬が来る前に紅葉は私達に有難い自然のプレゼントをくれる様な気がします。自分はそしてそれを作品にした絵も好きです。しかし自分は残念ながら紅葉で好きな人の絵を知ってはいません。でもなんとなく紅葉を書いている絵ならどんな絵でも好きになれる様な気もします。それだけ紅葉は芸術性を秘めている自然の産物ではないでしょうか?

冬の雪景色も好きですが、勿論春の桜の満開の景色も好きですが、そして初夏の木々が青青とする爽やかな気節も好きですが、日本には四季があって本当に良かったと思う所です。そんな四季が温暖化でなくなってしまうのは自分は残念な気がしてなりません。日本には四季があるから日本人は趣きある人種になれたのではないでしょうか?兎に角自分は日本人で良かったなと思う所です。そして日本にいれて良かったと思います。勿論海外にも行きたいですが、住めば都だからかもしれませんが自分は日本に住めて良かったとなんだか当たり前でつまらない様な気もしますが、ひょっとしたら自分は日本人になりたくて日本人として生まれてきたのかもしれません。