Sanshiro’s diary

大した事もない日常だけど…

最初は不純な動機から⁉︎…(^-^;

今週のお題「ブログ川柳」

そもそも自分がこのはてなブログを見つけたキッカケは真面目な出逢いを求めてでした。いつになっても恋人がいない事と女っ気がないのにシビレを切らし、このままでいてもなとしかしタチの悪い出逢い系なんか入ってしまえば、騙されるのが目に見えてるなと思った自分は真面目な出逢いを求めてヤフーで検索をすると、確か千葉は出逢いが多いとか書いてあってふんふんなるほど千葉は殆ど自分が住んでる所と変わらんなと思って先に進むとどういう訳だかブログを書きましょうみたいな感じになって、なんだ?ブログを書けば彼女が出来るのかと…

そんな訳で自分はこのはてなブログをはじめました…(^◇^;)

別に書く事にたいしてはなんの抵抗もなくまぁ作家を目指す手前いい勉強にもなるかもなとまさに一石二鳥じゃないかと…普通にブログをあげれば自分以外の人にも目がとまるし、ブログを読む人は勿論読書も好きだろうという事でブログをなんのことなしに何となく書いてみると普通に反応があって、はてなスターを頂きました。なんだはてなスターって?

みたいな事はおもったのですが要は気に入ってくれたんだみたいなことがわかるとよしよしならもっと書いてみようとそうして今迄続いています。将来の夢で作家と音楽家になりたいと書いた手前、作家になりたいと書いたなら作品も載っけないとなと自分は小説「大学生活」を書いて載っけてみたのですが、小説が長過ぎたのでしょうか…あんまり反応はなくまぁ自分はまだまだなんだなと思い知った処もありましたが気をとりなおしてバイクの話題を載っけると、「週間はてな」かななんか自分のブログを取り上げてくれて自分はたいそう嬉しかったです。やっぱり取り上げてくれた甲斐もあってアクセスも増えて意気揚々としてるところですが、それから彼女はどうなったのかというと、いっこうに出来る訳でもなく、寧ろそんな事は忘れてしまって、兎に角アクセス数アップを目指して日々頑張っているところで、読んでくれる人が沢山出来たならその先にひょっとしたら作家の道が待っているのではないかとかすかな希望を抱きながら、もういつのまにか彼女どころではなくなってしまったのですが、元を正せば自分の動機は彼女を作りたいが為という…なんて不純な動機だったのかと恥ずかしくなってくるところであります。

かといって勿論今も彼女も募集中なんですが…自分は小説を書く癖に読書はまるでしないという…ほぼ作家失格なんじゃないかみたいな…読書はまるでしないかわりに音楽だけは毎日聴く事を欠かした事はありません。だからなんなんだという…

しかしここの話題は最後に川柳にしなくてはいけないというお題で文章を今こうして書きながらなんかいい一句はないかと頭の中で奮闘しているのですが川柳なんて今迄生きてきた中で一回も書いた事がなく全く五七五が出てこない…

 

ブログ書き  認められれば   夢叶う?

不純でも  なってしまえば コッチもの

音楽を  聴いて目指すは  何故作家…

 

こんなところでしょうか

全く趣きのひとかけらもない川柳で大変申し訳ありません

自分の初川柳作品であります

なんかドリフみたいに天から自分に向けてタライが落ちてきそうではありますが

どうか許して頂きたく存じまする

 

 

バイクを購入…未知の場所へ足をのばす

今週のお題「私の沼」

最近、ヤフオクでジャイロXを約4万円でなんとかして落札しました。バイクでジャイロとはよくヤクルトの配達員のおばちゃんが乗っている後ろが三輪の原付バイクです。

自分は郊外に住んで居ながら、車の運転がペーパードライバーで免許は持ってはいるのですが、怖くてロクに出来ず、いつも遊びに行くといっては電車に揺られて、ちょっと近くの都市に遊びに行く事しか出来ませんでした。自分の住んでいる郊外はまさに車社会の街で、何処に行くにしても車がなければ話にならないそんな街に車も運転出来ないまま実に30年もの間今迄住んでいました。しかし、ここにきてそれについてようやくシビレを切らした自分は、なんとかしてバイクを手に入れてみようと、寝るのも惜しんで落札に参加しようやく今の一台を落札し念願をかなえようやく自分もここの車社会の街に対応出来るようになりました。バイクも今迄ロクに運転した事はなかったのですが、車の運転とは違って何故かバイクの運転は自信がありました。

しかし最初は少し恐る恐る近くのコンビニまで運転してみました。しかし何のことなく運転が出来てコンビニで煙草を買うとかなりご機嫌で自分は一服を済ませ、なにやら笑みまで浮かべてバイクは楽しいとバイクでどっかに行く事に今ではどっぷりつかっています。別に大した用事ではなくても、自分はバイクを走らせて、今迄住んでいながらロクに行く事もなかった街の中を普通にどうして今迄いけなかったのか不思議に思うくらいなんなくバイクで駆け巡っています。

今度はちょっと遠くの筑波までバイクを走らせてみようと思っているところであります。筑波はよく弟が洋服を買いに車でいっていたところで自分は羨ましくてたまりませんでした。しかし筑波の何処で弟は買い物をしていたのか自分は知りませんが、未知の街を開拓してみようと思っています。筑波には色々あるような事は噂できいているのです。

今のところ通勤にはバイクは使用していません。自分は駅までの徒歩30分の道のりを今迄と同じように健康の為に毎朝歩いて帰りも同じく歩いて帰ります。

しかしなんだかバイクで行っちゃおうかみたいな思いもフツフツと湧き上がってはいます。今のところ健康を優先して歩いているところなのですが…

それどころか会社の人はいっそ職場までバイクで来ちゃえばいいじゃんといいます。しかし自分は其処まではと、あのヤクルトのおばちゃんがのるバイクで国道6号を走って職場まで来る気には未だなってはいません。ちょっとびびっていて滅相もないといった具合です。

それに自分はバイクの知識をあまりもってはいないので、勉強も必要かみたいな事も思います。最初は普通に原付は灯油で走るものと思っていました…

このバイクに灯油を入れる事はなかったのですが、ガソリンを入れる際にスタンドの人に「千円分お願いします」というと「そんなに入らないよ」と言われたので自分は疑いながら「じゃあ満タンで」と千円こしてしまったらどうしようと思いながら頼むと結局かかったガソリン代は実に300円程度でした。

多分3リッターくらいしか入らないのでしょう。しかし3リッターで何処まで走るのかと今思っているところであります。

なにしろ始めての事ばかりで自分は今充実しているといってもいいでしょう

バイク一台でこんなにも幸せになれるとはと買って良かったと常々思いながら今日も車社会の自分の街と見知らぬ土地へこのバイクで今日も足を運んでいる毎日です。

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作家と音楽家を夢みて…

今週のお題「自己紹介」

自己を語るほど自分は魅力があるかわかりませんが、それに自分ほどよく自分ではわからない人はいないかもしれません。

幼い頃は優しくてしかし鈍臭いのでよくイジメられました。しかしイジメられることによって自分は強くなりました。中学時代はサッカーをして身体的にもぶよぶよだった体もまるで引き締まりました。運動が嫌いだった自分もそうではなくなり、体を動かすのは爽快だと迄思うようになってだいぶ健康になったような気がします。

中学3年生の夏休みに夏目漱石のこころを読んで衝撃をうけ、将来は作家になるんだとこころに決めました。それから日記をつけ始め、それは毎日ではありませんが今でも続いています。

しかし高校に入ると自分は音楽に傾倒していきます。この頃に再発したビートルズの赤盤青盤と共に自分は数々のCDやレコードを買い始めました。

大学に入るとバントをくみましたがすぐに失敗してメンバーから外されました。

そこで音楽をやめようともってる500枚あまりのレコードCDを全部売ると母親に言ったら止められました。それから自分の精神状態はおかしくなり、しかし自分は音楽から逃れられなくなっていきます。気がつけば、自分は精神錯乱を繰り返しながら、DJを始め、曲を作るそんな事をしはじめて、それからいつの間にか20年が経ちました。

自分はもう音楽が出来ない体かもしれなくなっています。しかしもう自分は完全に音楽にどっぷりと浸かってその生活から抜け出すことは恐らく出来ないでしょう。同時に作家として時には作品も書いてきました。それは自分の半生であり、またそのようなものです。

今は仕事もそれ程大変ではなく、仕事が終わると何時も喫茶店によってはそこで音楽を聴きながらまたは日記や作品をかきながら時間を潰す毎日です。

将来をぼやぁと夢みています。自分はサラリーマンとしてはもう仕事が続ける事が出来ない身体です。現に今迄サラリーマンをしてきたときも多々ありましたがどれも3年ともちませんでした。

そこでいっぱつ人生を賭けてみようと、今自分は芸術方面に自分の力を注いで生きています。かといってそんなに大々的な活動はしていませんが…寧ろ細々とやっています。それどころか精神錯乱の所為で数々の友達も失ってしまったところです。しかし自分は夢を捨てれません。

もし自分が夢を捨てたらもう自分に残るものは何もないそんなような気がします。

でも将来的には、空家を買い取って改装して、自分好みにしてひっそりと暮らせたら、そんな事をおもっています。

それで自分の活動が出来れば自分は満足して死ねるかもしれません。

恐らく結婚も無理でしょうし、子供なんて其れこそ無理に違いありません。

別にかといって拒んでいる訳ではないのですが

まぁ本当にのほほんと暮らせたら、お金がなくてもそれなりに毎日に幸せを感じられて生きれたら自分は本望だとおもいます。

 

蕎麦、うどんは茹で過ぎ注意

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

一人暮らしをしていた時は当たり前なのですがよく一人で飯を食べていました。やはりお金などロクにもっていなかったので、大抵食べるものはお金のかからないものでした。定番のカップラーメンやカップ焼きそばなども食べていましたが、その時料理したものといえば、料理したうちに入るかわかりませんが、蕎麦やうどんでした。普通にパスタやカレーなども作れるのですが面倒臭くて作る気にはなれませんでした。しかし蕎麦やうどんは茹でるだけと簡単極まりないのでよくつくりました。しかしそれだけでは物足りないので、惣菜としてよく唐揚げ棒をかっては一緒に食べていました。自分の仕事場の最寄り駅では駅そばで有名な弥生軒という蕎麦屋さんがありそこの名物蕎麦といえば唐揚げ蕎麦です。大きな唐揚げが入っている蕎麦なのですが唐揚げの油と蕎麦汁の相性は抜群で、自分はよく食べています。そこからヒントを得て、自分は蕎麦やうどんに唐揚げ棒の棒をとって添えるようになりました。

自分は基本あまり柔らかい蕎麦やうどんは好きではないのですが、市販の蕎麦やうどんに表示されている茹で時間は普通にどれも長過ぎます。大体10分位と書かれているのですが、丁度良い頃合いは大体6分位です。なんといっても茹であがった時はわかりやすいことに、お湯が泡をたてて鍋から吹き溢れそうになります。そしたらもうオッケーです。その時間がいつも6分くらいです。決して茹で上がってないことはなく、コシもあってとても美味しい茹で加減な筈です。一度試してみて下さい。

お手頃な値段で美味しかったものと言えば普通にどこのセブンイレブンでも恐らくおいてあるセブンの乾麺うどんは自分はとても美味しかったです。茹でたてを自分は熱盛りにしてめんつゆをちょっと垂らして食べただけで美味しく頂けました。その上唐揚げがあったらもう自分は満足でした。蕎麦も同様に熱盛りにして食べても美味しいです。まぁ蕎麦の場合は氷水でさらしてもりそばにしても食べていましたが…あと物足りない人はプラスネギや揚げ玉をつけてもいいでしょう。

ひとりで食べる飯はやはりローコストだけど美味しいそんな飯が良いのではないでしょうか?

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Yellow Magical Shoes

今週のお題「お気に入りのスニーカー」

自分のお気に入りのスニーカーといえばあの日履いていた、黄色のスニーカーでしょうか。今ではもうなくしてしまってもう持ってはいないのですが、なにか今でもあの靴は自分の記憶の中に残っています。

当時彼女とお付き合いをしていて、彼女とデートで裏原宿を歩いた際に、とある一軒のお店で購入した黄色いスニーカーなのですが、そのお店の名前は忘れてしまいました。そんなに名の知れたお店ではなかったと思います。若干ハイカット気味ですがそんなに高くはなくて、自分のパンツには丁度良かったと思います。

ソールは白でとても爽やかなイメージの靴でした。彼女もその靴を気に入って、自分は彼女とどっかに行く際は確か殆ど履いていたと思います。幸せの色の象徴である黄色は正にあの時の自分にうってつけであの黄色のスニーカーは自分の幸せを象徴するスニーカーでした。自分は其れを大事に履いて殆ど汚くなる事はありませんでした。いつでもその黄色いキャンバスは輝いていた様に見えました。

しかしそのスニーカーも彼女と別れると汚くなる事もないままいつの間にかなくしてしまって、今ではもう履くことは出来ません。恐らくもうあの靴はメーカーのものでもないので売っている事もないし此れからまた発売される事もないと思います。でももしまたそのスニーカーと出会ったとしても、自分はそのスニーカーを果たして買うでしょうか? なにか今ではもうあのスニーカーは履けない様なそんな気がします。

チューリップの曲に' 魔法の黄色い靴 'という歌があります。自分はそのレコードをなんとなく買おうと思いました。君を連れてくるよ と歌ってるその歌は ちっちゃな家まで帰ってくる と歌ってるその歌は あの当時の事をなんとなく彷彿させるそんな歌です。

しかし同じくチューリップの歌で

' あのスニーカーは捨てたかい? ' と歌う曲があります。

そう自分はもうあのスニーカーは捨てたのです。そしてもうあのスニーカーを履くことはないでしょう。

しかしあの黄色いスニーカーは正しく自分にとって魔法の黄色い靴…Yellow Magical Shoes でした

 

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絵に描いたような優しいおばあちゃんでした…

お題「おばあちゃんの思い出」

自分のおばあちゃんは見た目も性格もとなりのトトロで出て来るような絵に描いたような優しいおばあちゃんでした。幼い頃は自分は三人兄弟の長男ということでよくおばあちゃんの家に預けられた結果おばあちゃんがお母さんより大好きなおばあちゃん子として育ちました。おばあちゃん家に行くとお昼は出前のそばを大抵とってくれて自分はたぬきうどんがお気に入りでいつも出前のたぬきうどんを食べて、自分は幼い頃はふっくらと太った優しくはありましたが運動が苦手なそんな子でした。よくおばあちゃんは団子を作ってくれて、なにも味がしない団子なのですがそれを砂糖と醤油につけて自分は美味しそうに食べていました。夏になると今時の子ではありえない昔のおべべを着せられて夏祭りに行きました。花火をした時もありました。おばあちゃん家には犬がいて白い犬なのに名前はアカといいました。利口な犬で縄をとくと勝手に散歩にいって食事の前には帰ってきました。でもアカを連れて妹とおばあちゃんと一緒に散歩にいった時もありました。散歩の最中アカは決して自分の前を歩くことはありませんでした。おばあちゃんにはよく出かけた先でトイレに行きたくなってよく困らせました。知り合いの家で自分はトイレを借りた時もありました。ゴキブリがでるからといわれ自分はゴキブリを見た事がなかったので、怖がりながらトイレを済ませたのを覚えています。そんな幼い頃でした。

しかし大学に入るとなんとなくおばあちゃんとは疎遠になりました。自分はおばあちゃんに打ち明けたい悩みがあったのですがそれを打ち明けることが出来ず、おばあちゃんもなんとなく自分がなにかあった事をわかっていたかもしれませんが結局おばあちゃんも自分にどうしたの?と話す事はありませんでした。

自分はその悩みを打ち明けておばあちゃんの懐で泣いておばあちゃんに慰めてもらいたいとずっと心に思ったまま、結局最後の最後まで悩みを打ち明けることが出来ずにおばあちゃんはおじいちゃんと一緒に天国に行ってしまいました。

でもきっとおばあちゃんは天国から自分を見ているはずです。自分はおばあちゃんがいなくなっても大丈夫にならなくてはなりません。でも自分はきっと大丈夫でしょう。自分はもう大人だし、自分の事は自分で解決すべきです。それにもう自分はあの頃の太った鈍臭い運動音痴な自分ではなくなりました。自分は悩みを抱えながら世間の波にもまれ、ちょっとは強くなったような気がします。大抵の事は自分一人で出来るようになりました。優しいだけじゃダメだと言われ、自分も必死に出来る人になろうと頑張りました。

でもひょっとしたらおばあちゃんはあの頃の鈍い運動音痴なでもとびきり優しかった自分の方が好きなのかもしれないとなにかあの頃の自分とおばあちゃんが懐かしく感ぜられます。ひょっとしたらあの頃のままの自分だった方が良かったのかなと今自分の立場にたって思うのです。でもそうではないですよね。自分はもう大人です。きっと此れからも荒波にもまれる事でしょう。それでも大丈夫だよおばあちゃんといえるそんな自分にならなくてはと自分はそう思うのです。

おばあちゃんがいなくなってもうだいぶ経ちました。まだまだ至らないところではありますがきっとおばあちゃんはあの優しい顔でおじいちゃんと一緒に天国でよくやってるよといって見守ってくれてます。自分はおばあちゃんの為にも幸せになりたいです。でもおばあちゃんなかなかそうもいかないんだよなぁ(●´ω`●)

 

 

携帯で簡単に写真が撮れるようになったあの携帯

特別お題「おもいでのケータイ」

自分が思い出に残る携帯と云えば丁度写真が携帯でも撮れるようになったシャープ製のSHのなんたらといった白い携帯電話ではないでしょうか。同時自分にはまだ恋人がいて、その恋人と一緒に下北沢にある携帯電話の激安店でその電話を購入しました。自分は基本電話は好きではなくて、PHSが出始めた頃にすぐに親にPHSを持たされたのですが、いつでもどこでも電話がかかって来るのが嫌でプライベートの時間がなくなるとこんな物出て来なければ良かったのにと最初携帯電話に関しては否定的でした。しかしメールがうてるようになった頃にその彼女に自分はアプローチしましたが、電話は苦手で電話では緊張してしまい上手く彼女を口説けませんでしたが、メールアドレスを聞き出すと、自分は基本文章を書くのは得意だったので、彼女は自分のメールに夢中になり、挙げ句の果てには彼女の方から付き合って欲しいとメールの返信で書いてありました。自分はそのメールの内容を見て信じられなかったのを記憶しています。それで彼女とお付き合いする事になりました。もしあの当時携帯に電子メールというものがなかったら彼女と付き合う事が出来なかったでしょう。

そして写真が撮れるようになると、自分は彼女といった色々な所や、また彼女の写真を撮っては自分で後で見て、または彼女や友達が撮った自分の表情が如何にも彼女に対してデレデレで自分でもその写真を見ては面白おかしく笑っていました。当時カラオケ店だバイトをしていましたがその人達と一緒に行った旅行先やフットサルの試合、その後の飲み屋での写真も撮りました。もうその写真はあの携帯だけにおさまってるものだったので今では見ることが出来ませんが、自分が可愛く思った彼女の写真やデレデレの自分の顔、フットサル大会で優勝したときの集合写真、その後飲み屋で寝てしまった友達などの表情は今でも自分の記憶の中に残っているところであります。

でも出来ればもう一度あの写真達をみてみたいそんな気持ちもしない訳ではありません。結局その白い携帯電話が壊れる頃に彼女との付き合いも終わってしまい自分はその彼女を最後に未だ新しい彼女を作ることが出来てはいません。今ではカラオケ店で共に働いていた仲間もほぼみんな連絡をとることもなくなりました。ただあの頃の思い出は今でも自分の宝物として胸にしまい込んで今を生きています。あとは、やっぱり自分にとって音楽はかけがえのないものだったので携帯で音楽が聴けるようになったiPhoneは自分にとってかなり革命的ではありましたが、それ以前は携帯電話とiPodを持てば良い話だったので、それ程生活が変化した訳ではありませんでした。しかし簡単に写真が撮れるようになったあの携帯電話は自分はカメラなど持っていなかったし、カメラを買おうとも思っていなかったのですが、簡単に写真を撮る事が出来た上にメールで色々な人に送れるようになったのは、自分にとってかなり写真を身近に感じる事が出来た自分に生活の変化をもたらしたそんな携帯電話でした。今でも自分はよく携帯で写真を撮ってはあの当時はまだなかったインスタやフェイスブックに自分の撮った写真を投稿しています。それとやはり当時はなかったLINEで今でも密にまた新たな友達と連絡を取り合っています。携帯電話は自分にとって写真の面白さを教えてくれたそしてメールで簡単に誰とでも連絡が出来るようにしてくれた電話機能より寧ろそっちの方でありがたくそして生活に欠かせなくなったそんな機械です。

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